Posted in 黒零
親についての考察 ~その2~
うちは変わってて、私は小学校時代=転校12回、中学校時代=転校4回。
旅の一座ってワケではなかったが、なかなかの数やと思う。
小学校の時は一年に2回ペースで転校してた。
大阪の時は両親揃ってたり父親だけだったり。
広島の時は母子家庭のような感じやったと記憶している。
これもまた色々風変わりな記憶なので
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覚えてる限りでは
大阪 → 広島(因島) → 大阪 → 広島(尾道) → 大阪 → 広島(広島)
→ 大阪 → 広島(三原) → 大阪 → 広島(木原) → 大阪 → 広島(三原西)
こんな感じ。 広島の順番は忘れたので地名だけ。
大阪は父親の本拠地なので、基本住所的には変動がない。
なので、大阪の時は毎回同じ小学校に行くことになる。
毎度のことなので、また戻ってきた的な目で見られてた。
当時の広島は勉強面で大阪より遅れてたので、
大阪の時はたいてい勉強について行けなかった。
なので授業が終わってから先生について補習を受けてた。
広島へ行くとすでに習ってる事とか多かったので、
勉強面で困ることはなかった。
当時は普通の成績やったと思う(真実は闇の中w)
さて、広島時代の場所が毎回違うのだけど、
これの理由はさっぱり分からない。
いつの記憶か忘れたけど、本名ではない名字だった事もあった。
今でも『そんなん出来るんや…』と思うのだが、
当時はそんなこと気にする事もなく過ごしてた。
考えたらよくぞ学校は通わせてたな、と感心する。
大阪 → 広島の移動前後はおそらく通学してなかったと思われるが
これまた記憶があやふや。
まあこれは感謝しておいた方がいいのだろう。
大阪時代は同じ小学校に戻ってくる形になるので、
当然同学年の子供たちには変に映っていただろう。
今のような陰湿ないじめはなかったが、
当時はそれなりに悲しい目にはあった。
今の私を見ると「人見知り?うっそーー!(^O^;)!」と言われるが、
未だに人見知りやし、そんなに人好きでもないと思う。
人見知りに見えないよう、人嫌いに見えないよう 巧妙になっただけだろう。
すべての人を嫌いなわけではないが、
どちらかと言えば人付き合いは苦手な部類に入る。
なので私の場合、長く続いてる友人知人は
もれなく相手が面倒見がいいのである。
ああ、話が「親についての考察」から外れてきた…w
両親はくっついたり離れたりを繰り返し、
私が中学一年生の時に正式離婚した。
この離婚の理由もかなり後になって(私が結婚してから)父親から聞いたら
とんでもない理由で、ファーーーーっ!?ってなったのを覚えてる。
この話はまたいずれ記事にする予定。
まあ あまりいないだろう型破りな人。
そんな人が親なので、
私も大いに人からずれた感覚を持っていると自覚している。
ちょっとこんがらがってきたので、今回はこの辺で…。